無性に本を読みたくなったので、「ご冗談でしょうファインマン」さんを2冊とも読んだ。
よく「痛快エッセイ」なんてあおりがつけられているけど、現代の感覚からいけばそうでもないと思う。
おもしろいエピソードが沢山詰まっていることは確かだけど。
内容は、ファインマン自身の大学時代やそれ以前の、いかにして物理好きになったか?というところからスタートして、カルテク(カリフォルニア工科大学)で教鞭を執っていた晩年までのエピソードがまんべんなく散りばめられている。
すっかり時系列にならんでいる訳ではないから、多少前後する部分があるけれど、それでも読みやすいと思う。
翻訳も良い感じで、ファインマンの人となりがよく伝わってくる。
他書(たしかファインマンさん最後の手紙だったと思う)で書かれている、ファインマン自身の乳幼児期における父親の英才教育的な教育を受けた点を除けば、少年期からごくごく普通の理科少年だったことがうかがえる。(最終的には、その英才教育的な教育によって、「考える」ことに重点を置く人物に成長していくんだろう。)
思えば、最近の少年少女はブラックボックス化された機械に囲まれて生きているから、「中身がどうなってるか?」なんて興味を持っても気軽に調べることができないのはかわいそうだと思うな。
ファインマンの、「面倒ごとが嫌いで、おもしろいことには目がない」という姿は、理科少年そのもの。
子どもらしい大人とは、ファインマンのためにある言葉なのかもしれないね。
個人的な感想としては「大量殺戮兵器である原爆開発に携わったのは、こんなに愉快で正直な物理学者だった」という事のわかる貴重な書籍だと思う。
読んでためになると思ったのは、下巻の最後に挙げられている「カーゴ・カルト・サイエンス」について。
そもそもエッセイという趣旨から外れる出典の文書だから、当然と言えば当然か。
その言葉が述べられてから30年以上経つ現在でも、全く状況は変わっていないじゃないかと思うところが沢山でてきた。
現代で言えば、同じく物理学者の大槻教授みたいな考えを持っていたんだろうなと思わせるところが多々ある。
「正直であることこそ科学の本質」というのは、基礎科学をおろそかにする現代教育に対しても当てはまるだろうな。
企業はお金になる研究にしか金を出さないし、大学や国だって、最終的に製品として売り出せる見込みのある研究にしか補助金や助成金を出してくれないことがほとんどだ。
だから、科学者は金を出してくれる研究に傾倒しがちだけど、それじゃダメなんだよということを改めて認識させられた。
読むときの注意点としては、「訳は平易だけど表現が古めかしい部分が散見される」ということ。
出版された年代を考えれば仕方のないことか。
説教くさい(人に教えるような気持ちで)書かれた文書は最後のものだけで、あとは近所のおじさんの昔の武勇伝風に書かれているので読みやすいと思う。
自慢話が嫌いな人にはお勧めしないけど。
軽読書として一冊いかが?
科学史のさわりぐらい勉強した人なら、おもしろおかしく読めると思うな。
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