2.25.2010

箱根みやげ。



箱根のおみやげもらいました。
画像はいただいた「紙のパイプをつなげて作る、ペーパークラフト的な何か」の完成品です。

ハサミで切っていくわけですが、精度の悪さに驚きました。
ハサミで切る事が前提なら、もうちょっと考えた作りができただろうに……。

また、ハサミを入れる場所が分かりづらかったので、できれば最初から切り分けたパーツを入れて欲しかったです。
プラモデルなんかと違って、切り分ける楽しみも皆無に近い商品だったので。

などと文句ばかり言ってもアレですが、オブジェとしてはなかなか楽しめてます。
ありがとうございました。

買っちゃった!



ゼルダの伝説大地の汽笛、買っちゃいました(´∀`*)

前々から目を付けていたんですが、ここさいきん価格が落ちているらしく
・ 近所のソフマップで1,980円
・ 新宿ヨドバシで2,480円
・ 新宿ビックでほぼ定価
と、3店舗をまわりじっくりと(1週間近く)吟味したっけっか、ソフマップ特価1,980円にてゲットしました。
たぶん、あと3ヶ月も待てばもっと落ちると思いますが、私にとってこれ以上落ちると、「ゼルダをやる対価として支払う価格」にしては、あまりに安すぎる買い物になると思うので、ここらで手を打つ事にしました。

当然、卒論がほぼ終わった自分へのご褒美の意味もあります(笑)
現在、最初の神殿にチャレンジするところですが、なかなか面白いです。

これまでのゼルダよりコミカルな雰囲気が強い気はしますが、可愛らしいキツネ目リンクと共に、冒険を楽しんでいます。

すれちがい通信機能も有しているようなので、安くなったら買おうと思っていた方、ぜひ東京近郊ですれちがいましょう!

2.24.2010

ちゃくちゃくと。

内定先に呼ばれてのオリンエテーションも今日が最後。
卒論も提出目前。ってことで、プラモ買ってきました。
卒論がすっかり終わったら、じっくり取り組む予定。

お金ができたらエアブラシと塗装ブースのセットが欲しいです。

2.21.2010

誕生日祝いのメール。

普通、親しい知り合いからもらうものですが、1通誰だか分からない人から送られてきました。
誰ですか?と返すのも失礼かな?と思ったので、とりあえずお礼を言って、今日別の友人に確認したんですが、そこでも誰かわからないという……。

なんだか気味が悪いですが、あまり気にしない事にしました。
いずれにせよ誰か分からないって事は、こちらから連絡を取る必要が無いくらい疎遠な方だと思いますので。


そうそう、Skypeでバースデーメッセージをくださった皆さん、本当にありがとう御座いました♪

Haskellの表現力に脱帽。

あるN番目の数が素数かどうかを判定するプログラムについてちょろっと調べてたら、
http://www.rcc.ritsumei.ac.jp/~kaki/lambda/entries.rb?num=3
にHaskellによる実装が載ってた。

それに寄れば

sieve (x:xs) = (x : sieve (filter (\y -> rem y x /= 0) xs))
primes = 2 : sieve [3,5..]

main = getLine >>= print . (primes !!) . (subtract 1) . read

という、「ナニソレ?」レベルのHaskellの高い表現力による解が。

基本的にはフィルタを通しているだけだから、うまく書けばLISPでも同等の表現ができると思う。
当然OCamlなんかでも。となると、Haskellの表現力じゃなく、関数型言語の表現力なのかなぁ?
でも、やっぱりこの短さ、美しさを見せられると、唸ってしまう。

Haskell、放り出しちゃったけど、もう一回真面目に取り組んでみようかなぁ。

おめでとう私。

お誕生日だそうです。
23歳になりましたよ。
17歳と72ヶ月の間違いでした。

2.17.2010

いわゆる一種のエゴサーチ。

寒い。
(寒いからってエゴサーチした訳じゃないですよ)

昨日挙げたDistroFreakの、30秒で高木藤丸になろうって記事、お一方素敵な紳士が釣られてくださったんですが、イマイチアクセスが伸びてる様子もなく、オッサンの釣り遊びになんか、だれもつきあってくれないのかなぁ?と思って、ちょっくらエゴサーチしてみました。

すると……



「高木藤丸 Linux」という検索キーワードでぐぐると、何と3位に表示されちゃいました。
別に、なんてことのない、エゴサーチしてみたらびっくりしたってポストです。

こんなことしてないで、真面目に卒論書きなさいよと思ってるそこのあなた!m9っ`Д´) ビシッ!!
正解。これから書きます。ごめんなさい。

2.16.2010

まいんちゃんの所属事務所のページが、Google先生に危険だと判断されたそうな。

元はこの記事
記事中では「Firefoxで「危険サイト」に認定され正常に表示されない状態」で、「Internet Explorerでは問題なく表示される。」となってるけど、これは嘘。
Firefoxが危険サイトの判断をGoogleに依存しているから起こる問題で、Googleを経由すれば、たといIEでもOperaでも、画像のように危険サイトと判断される。




逆にOperaやIEなら、Yahoo!などの他の検索サイトを経由したり、URLを直接打ち込んだりすれば閲覧可能。
Firefox同様、ChromeもGoogleの危険サイト判断に頼っているだろうから、現時点では閲覧できない可能性がある。(ちなみに、FirefoxとChromeは手元に無いので未検証。)

つまり、危険なサイトだと主張しているのはGoogle先生。
一体何が危険なのかは不明だけど、いつもの通り、プログラムの判定トラブルな気がする。
すべてをオートメーション化することはすばらしいけど、こういうトラブルが怖いなと思う、寒い日の昼下がりでした。

2.11.2010

英語で書くということ。

ふとDistro Freakにどれぐらいの人がアクセスしているのか気になって調べてみました。

便利なことに、Seesaaブログはそれ自体にアクセス解析機能が付いていて、だいたいの概略を知ることが出来ます。(もっとも、月別集計とか、そういう機能が無い(僕が知らないだけかも)ので、解析には不向きだと思いますが)

で、日がな一日暇なので、ざっくり解析してみました。
すると、だいたい平均600ユーザ、2000PVだということが判明。
そんなに見てくださっているんですね。感謝感謝。

いつだか調べたときは、ユーザ数で550ちょっとだったので、ここ最近毎日更新していることが、ユーザ数の増加につながったのかなと。

で、ふと気になったのが、もし英語で書いてたらどのぐらいのアクセスがあるんだろう?ということ。
単純に話者の数とアクセス数に線形の増加関係があると仮定して、DistroFreakならばどの程度のアクセスがあるんだろうか考えてみました。

話者数は次のドキュメントを参照しました。
http://konnichiwa.at.infoseek.co.jp/100-ranking.txt
情報が古いけど、そう大きく変わる文じゃないだろうからね。

この記事曰く、公用語話者数で考えれば、日本語はは1億2000万、英語話が14億だから、日本語を1億と考えても、仮定から14倍のアクセスがあることになる。

とすると、ユーザ数で8,400、PVだと28,000という膨大な数字に。
母国語の人で考えても、ユーザ数なら1,800、PVでも6,000か。

もしビジネスだとすれば、相手に出来る顧客が公用語レベルで日本語の14倍、母国語レベルで日本語の3倍ともなれば、ビジネスチャンスも広がるわなぁ。

ここでふと、研究室の教授が「極力英語で書かないと、研究成果は見てもらえない」と言っていたのを思い出しました。
そりゃ、先の仮定を抜きにしても、話者にこれほど差があるなら、そう言いたくなる気持ちもわかるなぁ。

英語で書くことの大切さを、建国記念日に実感するという僕でした。
(とはいえ、英語で書ける訳じゃないのであしからず。)

2.10.2010

量子の世界ってスゲー。

WIREDで記事になってた、光合成は量子コンピュータという記事
http://wiredvision.jp/news/201002/2010021023.html

量子力学のさわりぐらいしか学んでいなくて、量子コンピュータの原理なんてファインマンの著書でしか読んだことのない僕にとってみたら、スゲーとしか言いようがない現象。

エネルギーロスの小ささを説明するためには、量子重ね合わせ状態をとっていると説明するのが一番都合が良く、離れた細胞同士のエネルギー輸送もそのロスが小さいから、そこでも量子輸送が行われている(だろう)という結論らしい。

最近問題になっているのは、量子状態の決定に関する矛盾で、アインシュタインの一般相対性理論と量子状態の決定とは相容れないモノだというのを聞いたことがある。
アインシュタインの理論が間違っているのか、量子力学分野に修正すべき箇所があるのかは不明だけれども、電子の振る舞いを上手に説明してきた量子力学の基本的な部分である「粒子と波の状態が同時に存在する」とか「ある電子の状態は確率的に分布していて、観測するまで決定されない」とかいった部分の実験的な研究が進めば、この矛盾も解決されるんだろう。

実際に話を聞くとチンプンカンプンな内容が多い中、こうしてわかりやすい記事に直してくれるのは助かるなぁ。

2.09.2010

ミンククジラは増えていないのか?

東響新聞なんかが取り上げていて、一部で話題になっているこのニュース。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010020901000171.html

要約すると
日本の調査捕鯨で捕獲され、市販されていたミンククジラの肉52サンプルの遺伝子を、遺伝子の変異の多様さから、個体数を推定する手法を使って分析した結果、ミンククジラは増えてなさそうだ
というもの。

過去100年ほどの間に3~8倍も増えたとする科学者もいたが、今回の分析はミンククジラが増えたという仮説が正しくないことを示した」と指摘している博士も居るようだけれども、ちょっと待って。

本当にクジラは増えていないんだろうか?
(重要なのは、「増えてない」=「減った」ではないということ。ここで議論するのは本当に増えていないのか?という問題)

私が気になったのは「市販されていたミンククジラの肉52サンプルの遺伝子」という部分。

52サンプルというサンプル数の数もさることながら(ミンククジラの生息域と照らし合わせて、統計的に意味のある、信頼できる数字なんだろうか?たぶん、そんなことはないと思う。)、52のミンククジラの肉が、すべて別の個体のモノであったのかどうかがアヤシイと思う。

52のサンプルのうち、例えばすべてが3の個体から切り出された肉だとすれば、サンプルの多様性は信頼できないものになり、この調査自体、たいした意味を持たないと思う。

そこまで(つまりサンプルと個体数の関係まで)十分に考察した上での結果なんだろうか?
元の論文やら発表を読んでいないから詳しいことは言えないけれども、新聞の記事を読む限りではそう感じる。
(52のサンプル数に対して、その肉を取り出した個体数が極端に少なければ、遺伝子の多様性に論拠を置く個体数推定手法はほとんど意味を成さないのではないかと思う。)

当然、水産庁が示している「餌のオキアミをめぐり競合状態にある大型クジラが減少し、クロミンククジラが増えている可能性」も眉唾物で、調査捕鯨も含めた十分な研究が望まれるとは思うけれども、今回の調査が僕の考えているようなものであれば、IWCなどで取り上げるほど意味のある研究調査結果だとは言えないと思う。

また、調査捕鯨を行った上で「増えていない」のであれば、調査捕鯨を行っても、個体数の現状は維持される根拠にもなり得るだろうから、継続して実測による個体数の調査を行うべきではないかと思う。

せっかく調査捕鯨しているんだから、52サンプルなんて言わずに、もっと多い数のサンプルを使って、日本がこういう研究調査をしたら良いのにと思ってしまった。
(一体いくつのサンプルがあるのかは知らないけれど、食用並に有効な鯨肉の使い道だから、IWCも許してくれると思う。)
科学的な手法で研究された結果なら、それを海外の研究者が出したつきあわせて、それの「確からしさ」を知ることが出来るだろうし、そうして得られた「確からしさ」の高い結果をもとに、捕鯨禁止も含めた捕鯨枠の議論を行えばいいのになぁ。

可能な限り客観的な結果を基に議論するのは、意見の対立する人たちの間で話し合いを行うために、必要な事だと思うんですけど、いかがなもんでしょう。

2.08.2010

2.07.2010

文化庁メディア芸術祭にいってきました。

表題の通り、私の中で毎年の恒例行事となった文化庁メディア芸術祭にいってきました。

率直な感想は
・ 作品それぞれに、作品の説明のほかに推薦理由なり受賞理由なりを添えて欲しかった
・ 作品数が去年より少ない感じがした
・ 反面、企業の出しているゲームなんかがふえて、まるで宣伝会場のような雰囲気だった。
という3点。

流行に乗ってTwitter経由でのつぶやきを集めてみるコーナーなんかもありましたけど、盛り上がりにはイマイチ欠けている様子だったのが印象的でした。
(あれも、なんらかのアート作品として展示すれば素敵だろうにと思いましたよ。)

それから、解説員/説明員が必要なアートが増えているのも気になりました。
それ単体で完結せず、言葉や文章と言った補助的な理解要素を加えることで完成するものを、果たしてアートと言えるのでしょうか?(表現の一部として言葉や文章が使われているならばわかりますが、慣習への理解を促すためにそれらが使われているとしたら、それはアートでない気がします。)

ゲームについてはもっと自重して欲しいと思いました。
確かに優れたゲームが多いのは理解できますが、今更文化庁メディア芸術祭が受賞させるまでもないだろう作品が多数並んでいたのは気になりました。(なんだか、ネームバリューで選んだような印象すら受けました。)

そんな中、個人的にはNemo Observatoriumに惹かれました。
中には入っていないですし、作品概要にあるような静けさを見つめ直すなんて高尚な理由ではなく、パーティクルを使うことで、筒内の、特に壁面付近の流体の可視化を行っているという点に強く惹かれたのです。

加えて(当たり前のことですが)流れのない、筒の中央部分にいる人間は、髪の毛一つ乱れないのにも感激しました。(中々ここまで大型の実験装置で観察したことがなかったもので。)

ガラス張りが災いしてか、あんまり長い時間筒の中に居る人は少なかったですが、そんな楽しみ方をしている人が筒の外側にいたんだよと言うことを知って頂ければ幸いです(笑)

ゲームについては先に書いた通り、ガッカリです。
「高い芸術性と創造性を基準」と開催概要に掲げているにもかかわらず、版権モノの3D格闘ゲームに賞が贈られていたり(どこかで見たことのある格闘ゲームに、版権モノのキャラを入れたもののドコが高い「創造性」を有しているのか知りたいです。確かにグラフィックスは綺麗で動きもなめらかという、見た目の芸術性は高かったと思いますが)

バイオハザードも同じ理由で、これだけ氾濫している同系統ガンシューティングゲームの中、なぜバイオだけが高い芸術性と創造性を持っていると評され、推薦されたのか説明が欲しいと思いました。

ロコロコ2とかも、1に比べて十分に高い芸術性や新たな創造性を備え、推薦に値する作品だったかは疑問です。
こうなると、どうしても審査員の政治的なやりとりを勘ぐってしまいます。

アニメーション部門も、時をかける少女に対してどれだけ新たな創造性、芸術性があったかが疑問です。
演出的に似通っていると思うところがあると思いましたし、個人的にはThe Cable Carの方がずっとインパクトがあると思いました。

漫画部門については、毎度の事ながら未完の漫画を芸術作品として持ち上げるなと言いたいです。
未完の漫画が、それ一つで完成した芸術作品になり得るのでしょうか?
少なくとも、私はそれには否定的な立場をとっています。
漫画は、第一話~最終話まで通して、初めて一つの芸術作品として世の中に評価されるべきです。
(漫画という媒体としては、当然その途中で評価されるべきだと思いますが、芸術品としては、未完のモノは含まれないと思います。)
何より、大賞作品の贈賞理由に「後の展開に目の離せない」などと、まるで出版社の煽り文句のような言葉が出ていることには驚きました。
もう一つ付け加えておくならば、漫画として全部くくらず、各漫画部門(ストーリーとか、ギャグとか、SFとか)それぞれに、何らかの賞を設けてやれば、国立漫画喫茶の議論なんぞしなくとも、漫画事業を盛り上げていけるのではないかと思いました。

と、全体を通して今年は商業主義的な空気を感じました。
芸術を前面に押し出している以上、近年のメディアを使った芸術作品をもっと選んで、贈賞して欲しいと思います。

2.04.2010

コーヒー飲みつつ卒論書きつつ。

卒論書いてて思うのが、文書化が苦手だということ。
ブログなんかを見てもわかるとおり、無関係な話で内容を水増しするのは得意なものの、本筋に絡んだ話で話をふくらますのは自分でも驚くほど不得意。

どうしても途中をすっ飛ばして結論を言いたくなってしまったり、文書を短くまとめてしまいたくなる。
でも、書くべき枚数が定まっている卒業論文ではそうはいかないらしい。

Codezineに書かせて頂いた原稿なんかは、規定よりすごい沢山書いてしまって削る作業が主だったけれども、足りなくて増やすと言うことはまず無かった。

他の文書でもそうだ。
でも、今相手にしている文書は、目標に達しておらずマシマシで書かねばならない。何よりソコがつらいところ。

ボチボチ書き上げないといけないので、焦っているのもひとつ、書けない原因なのかも知れない。
がんばるぞー。