2.07.2010

文化庁メディア芸術祭にいってきました。

表題の通り、私の中で毎年の恒例行事となった文化庁メディア芸術祭にいってきました。

率直な感想は
・ 作品それぞれに、作品の説明のほかに推薦理由なり受賞理由なりを添えて欲しかった
・ 作品数が去年より少ない感じがした
・ 反面、企業の出しているゲームなんかがふえて、まるで宣伝会場のような雰囲気だった。
という3点。

流行に乗ってTwitter経由でのつぶやきを集めてみるコーナーなんかもありましたけど、盛り上がりにはイマイチ欠けている様子だったのが印象的でした。
(あれも、なんらかのアート作品として展示すれば素敵だろうにと思いましたよ。)

それから、解説員/説明員が必要なアートが増えているのも気になりました。
それ単体で完結せず、言葉や文章と言った補助的な理解要素を加えることで完成するものを、果たしてアートと言えるのでしょうか?(表現の一部として言葉や文章が使われているならばわかりますが、慣習への理解を促すためにそれらが使われているとしたら、それはアートでない気がします。)

ゲームについてはもっと自重して欲しいと思いました。
確かに優れたゲームが多いのは理解できますが、今更文化庁メディア芸術祭が受賞させるまでもないだろう作品が多数並んでいたのは気になりました。(なんだか、ネームバリューで選んだような印象すら受けました。)

そんな中、個人的にはNemo Observatoriumに惹かれました。
中には入っていないですし、作品概要にあるような静けさを見つめ直すなんて高尚な理由ではなく、パーティクルを使うことで、筒内の、特に壁面付近の流体の可視化を行っているという点に強く惹かれたのです。

加えて(当たり前のことですが)流れのない、筒の中央部分にいる人間は、髪の毛一つ乱れないのにも感激しました。(中々ここまで大型の実験装置で観察したことがなかったもので。)

ガラス張りが災いしてか、あんまり長い時間筒の中に居る人は少なかったですが、そんな楽しみ方をしている人が筒の外側にいたんだよと言うことを知って頂ければ幸いです(笑)

ゲームについては先に書いた通り、ガッカリです。
「高い芸術性と創造性を基準」と開催概要に掲げているにもかかわらず、版権モノの3D格闘ゲームに賞が贈られていたり(どこかで見たことのある格闘ゲームに、版権モノのキャラを入れたもののドコが高い「創造性」を有しているのか知りたいです。確かにグラフィックスは綺麗で動きもなめらかという、見た目の芸術性は高かったと思いますが)

バイオハザードも同じ理由で、これだけ氾濫している同系統ガンシューティングゲームの中、なぜバイオだけが高い芸術性と創造性を持っていると評され、推薦されたのか説明が欲しいと思いました。

ロコロコ2とかも、1に比べて十分に高い芸術性や新たな創造性を備え、推薦に値する作品だったかは疑問です。
こうなると、どうしても審査員の政治的なやりとりを勘ぐってしまいます。

アニメーション部門も、時をかける少女に対してどれだけ新たな創造性、芸術性があったかが疑問です。
演出的に似通っていると思うところがあると思いましたし、個人的にはThe Cable Carの方がずっとインパクトがあると思いました。

漫画部門については、毎度の事ながら未完の漫画を芸術作品として持ち上げるなと言いたいです。
未完の漫画が、それ一つで完成した芸術作品になり得るのでしょうか?
少なくとも、私はそれには否定的な立場をとっています。
漫画は、第一話~最終話まで通して、初めて一つの芸術作品として世の中に評価されるべきです。
(漫画という媒体としては、当然その途中で評価されるべきだと思いますが、芸術品としては、未完のモノは含まれないと思います。)
何より、大賞作品の贈賞理由に「後の展開に目の離せない」などと、まるで出版社の煽り文句のような言葉が出ていることには驚きました。
もう一つ付け加えておくならば、漫画として全部くくらず、各漫画部門(ストーリーとか、ギャグとか、SFとか)それぞれに、何らかの賞を設けてやれば、国立漫画喫茶の議論なんぞしなくとも、漫画事業を盛り上げていけるのではないかと思いました。

と、全体を通して今年は商業主義的な空気を感じました。
芸術を前面に押し出している以上、近年のメディアを使った芸術作品をもっと選んで、贈賞して欲しいと思います。

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