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2.27.2011

大学が、謝りに出てくる必要はあるのか?

バス横転事件で、「学生が重大な事件を起こして申し訳ない」といって大学が謝る。
そんな必要あるんだろうか?

日本は組織に責任を求めすぎている気がする。
大学生とはいえ、大学3年生ともなれば立派な大人だ。

そんな大人の生活指導を、大学がする必要があるんだろうか?
そんなところに予算を割くなら、充実した教育や研究のために費用を使うべきだ。

大学は、幼稚園じゃない。
学生がしたことの責任を大学が感じる必要があるのは、大学として誤った教育を施していた時だけで十分だろう。

それだのに、どうしてこうやって記者会見まで開いて、謝る必要があるんだろうか?
そんな無意味なことはよせばいい。

「悩みは聞いていない」なんて当たり前だ。
優秀な学生であるなら尚更、大学はそういう人生相談をする場じゃないことぐらい理解している。

もし「悩みを把握していない」として釈明する人たちが居るとすれば、それは親兄弟、そして友人の類だろう。
大学として学生一人ひとりの悩みまで把握するような、そんなところに予算は使ってほしくない。

一人の大人が起こした事件だ。
就職前の学生だからって子供扱いする必要はない。
ましてや留学経験もあって、留学するという判断も自分でできて、農学分野で活発に議論を交わせるほどの大人だ。
大人の責任は、大人自身が負うべきだろう。
大学が誤った道筋に導くような教育を施していないのなら、大学が出てきて釈明する必要はないと、新聞記事を読んで思ったのでした。

2.20.2011

南極海での調査捕鯨を見直す時期に来てるんじゃないだろうか。

シー・シェパードの妨害行為で南極海での調査捕鯨活動が中断されることになったというニュースを読んでいて、そろそろ見直しの時期なんじゃないだろうかと思えてきた。

もちろん、武力によるテロ行為は許されるべきものではないけれど、それは今回議論したい問題の本質と異なる。
議論したいのは、本当に南極海での調査捕鯨が必要か?とういう事。

鯨の生態というのはまだよくわかっていなくて、一定の調査が必要なのは十分に理解できる。
科学的調査への影響が云々〜という理由ももっともなものだと思う。

じゃあ、これまでの研究成果でどれくらい鯨の生態がわかってきたんだろう?
それは、調査捕鯨として調査するに値する価値のある成果だったろうか?
科学的調査云々なのに、文科省がダンマリを決めていて、いつも出てくるのは農水省なのはなんでだろうか?
科学的価値が十分にある調査捕鯨ならば、その調査捕鯨を必要としている科学者がもっと声をあげて、いかに優れた成果をもたらしている調査なのかを国民にアピールするべきだろう。

でも、実際にはそれはなされていない。
聞こえてくるのは政治家の嘆き、反捕鯨団体の意見、そして自衛隊に護衛させろという右翼の意見。
科学的にこれだけ価値のある調査なんだ!という声が聞こえてこない。

たとい価値のある調査だったとしても、それが専門家の間だけで価値の議論がなされているとすれば、国民に対して広く成果を知ってもらって、協力してもらおうという主張が無いとすれば、それはその人たちから発せられている、(南極海での調査捕鯨を)国民に理解してもらう必要はない、世論の支援を必要としていないというひとつの応えだと思う。

だとすれば、僕の意見はひとつ。
「南極海まで出ていっての調査捕鯨は不要だ」というもの。
南極海まで出ていってと書いたのは、逆に日本近海での捕鯨はすべきだと思うからだ。

例えばザ・コーヴで製作者側が主張した鯨肉食による水銀被害。
これは、捕鯨をしている市区町村と研究者が一緒になって調査して、早い段階で科学的な論拠と安全性に関する報告を(安全ありき、危険ありきでなく、本当に科学に忠実に行なって)明らかにするべきだと思う。

南極海まで出ていっての調査捕鯨には多額のお金がかかっている。
ならば、そこから得られる、その活動の主目的に大しての成果が十分投資に見合うものでなければ辞めるべきだ。
そんなのは経営の素人でも、政治の素人でもわかる。

科学はそんなに早く成果が出るものじゃないという反論もあるかもしれない。
でも、調査捕鯨はもう10年以上続けている。
10年以上続けて、国民に声を大きくして知らせられるだけの成果が上がっていないなら、それは仕分けられて当然じゃないんだろうか。

国民の関心を集めているロケットだって、理学の基礎研究だって、10年やったらその次の成果、目的に向けて再度議論するだろう。でも、様々な文書を読んでも、調査捕鯨はずっと同じことを続けているように見えてならない。十分と言える資料が集まっているならば、反捕鯨国を納得させられるだけの科学的論拠を出す作業に、どうして移行できてないんだろうか?

今回の一件は、本質的・根本的議論なしに、敗走してきた、逃げ帰ってきたとか、来季もまだ続けるつもりだとか、調査捕鯨がもたらした科学的成果の例を上げて、それを投入したお金に照らし合わせることもしないで科学的調査が妨げられるのは残念だとコメントを出してみるとか、どうしてそう不毛なことばかりしているんだろうと思えて仕方がない。

捕鯨問題に詳しいわけではないけど、ニュース報道を読んで、資料をざっくり漁ってみてそう思ったのでした。
(調査捕鯨の副産物である鯨肉やその流通にばかり議論が行くのもおかしいと思ってます。もちろん、そういう裏がある調査なのは理解してますけど、大義名分を掲げている以上、反捕鯨団体だって、反捕鯨国だってマスコミ各社だって、そこを真正面から叩くべきです。)

2.01.2011

遊園地の転落事故の話。

色々報道されて、コメンテーターなる人がコメントして、あちこちで「あーだこーだ」と議論されてるみたいだけど。

なにより僕が気になっているのが、「安全バーがきちんと閉まっていない状態で運転可能なシステムを採用している」というトコロ。

今日日たかだか工業製品を作るのだって、製品にダメージを与えそうなところは徹底的に潰されて、ライン自体が動かないようにガチガチに縛られるのに、人命に関わる遊具でそういう措置がされていないってどういうことなんだろう?と。

このコースターの設計やら製造を担当した企業は一切出てこないで、管理してる会社の事ばかり報道されてさ。
確かに管理にダメな点があったのは事実だろうと思う。

でも、機械やコンピュータを使う以上、そういった人間の怠慢や不注意を止める仕組みが備わっていて然るべきだろうと思う。
少なくとも、今回のケースで言えば、他の客は転落していない訳だし、他の遊具では事故が発生していないわけだから、管理会社や従業員が、特別不注意だったとか、責められるほど安全管理が行き届いていなかったとは言えないんじゃないかと思う。

バイトの女の子が安全バーをチェックせずなんて新聞は書いてるけど、チェックしてたら大丈夫だったのか?というと、これも疑問だと思う。触ってのチェックなんて、どのぐらいの力でチェックしたかなんていう数値化が難しいわけだから、あくまで最終確認として使われるべきだろう。
(チェックした上で落ちてたなんて事になってたら、どうするつもりだったんだろう?「安全管理は十分でした」で終わり?そうはいくまい。人間がチェックすれば大丈夫?そんな訳ないだろうと思う。左右を確認して横断歩道を渡っても、交通事故に合う人は居るんだ。)

であれば、その前の段階で、「バーがきちんと閉まってませんよ〜!」と警告を出すシステムがなぜ備わっていなかったのか?なぜバーがきちんと閉まっていなくても発信できるコースターが、安全基準を満たしている遊具なんて言えるんだろうか?
そんな製品を作っている企業が、こうして報道される管理会社の裏に隠れているとしたら、そっちの方が由々しき事態だと思う。(管理会社が製品づくりまで全部やってるとしたら、やっぱり管理会社が責められるべきだと思うけど。)

報道は、みんな横並びじゃなくて、そういうところを見なおしたほうが良いと思う。
ちょいとばかりネットで記事を斜め読みして、そんなふうに思ったので書いてみました。