2.20.2011

南極海での調査捕鯨を見直す時期に来てるんじゃないだろうか。

シー・シェパードの妨害行為で南極海での調査捕鯨活動が中断されることになったというニュースを読んでいて、そろそろ見直しの時期なんじゃないだろうかと思えてきた。

もちろん、武力によるテロ行為は許されるべきものではないけれど、それは今回議論したい問題の本質と異なる。
議論したいのは、本当に南極海での調査捕鯨が必要か?とういう事。

鯨の生態というのはまだよくわかっていなくて、一定の調査が必要なのは十分に理解できる。
科学的調査への影響が云々〜という理由ももっともなものだと思う。

じゃあ、これまでの研究成果でどれくらい鯨の生態がわかってきたんだろう?
それは、調査捕鯨として調査するに値する価値のある成果だったろうか?
科学的調査云々なのに、文科省がダンマリを決めていて、いつも出てくるのは農水省なのはなんでだろうか?
科学的価値が十分にある調査捕鯨ならば、その調査捕鯨を必要としている科学者がもっと声をあげて、いかに優れた成果をもたらしている調査なのかを国民にアピールするべきだろう。

でも、実際にはそれはなされていない。
聞こえてくるのは政治家の嘆き、反捕鯨団体の意見、そして自衛隊に護衛させろという右翼の意見。
科学的にこれだけ価値のある調査なんだ!という声が聞こえてこない。

たとい価値のある調査だったとしても、それが専門家の間だけで価値の議論がなされているとすれば、国民に対して広く成果を知ってもらって、協力してもらおうという主張が無いとすれば、それはその人たちから発せられている、(南極海での調査捕鯨を)国民に理解してもらう必要はない、世論の支援を必要としていないというひとつの応えだと思う。

だとすれば、僕の意見はひとつ。
「南極海まで出ていっての調査捕鯨は不要だ」というもの。
南極海まで出ていってと書いたのは、逆に日本近海での捕鯨はすべきだと思うからだ。

例えばザ・コーヴで製作者側が主張した鯨肉食による水銀被害。
これは、捕鯨をしている市区町村と研究者が一緒になって調査して、早い段階で科学的な論拠と安全性に関する報告を(安全ありき、危険ありきでなく、本当に科学に忠実に行なって)明らかにするべきだと思う。

南極海まで出ていっての調査捕鯨には多額のお金がかかっている。
ならば、そこから得られる、その活動の主目的に大しての成果が十分投資に見合うものでなければ辞めるべきだ。
そんなのは経営の素人でも、政治の素人でもわかる。

科学はそんなに早く成果が出るものじゃないという反論もあるかもしれない。
でも、調査捕鯨はもう10年以上続けている。
10年以上続けて、国民に声を大きくして知らせられるだけの成果が上がっていないなら、それは仕分けられて当然じゃないんだろうか。

国民の関心を集めているロケットだって、理学の基礎研究だって、10年やったらその次の成果、目的に向けて再度議論するだろう。でも、様々な文書を読んでも、調査捕鯨はずっと同じことを続けているように見えてならない。十分と言える資料が集まっているならば、反捕鯨国を納得させられるだけの科学的論拠を出す作業に、どうして移行できてないんだろうか?

今回の一件は、本質的・根本的議論なしに、敗走してきた、逃げ帰ってきたとか、来季もまだ続けるつもりだとか、調査捕鯨がもたらした科学的成果の例を上げて、それを投入したお金に照らし合わせることもしないで科学的調査が妨げられるのは残念だとコメントを出してみるとか、どうしてそう不毛なことばかりしているんだろうと思えて仕方がない。

捕鯨問題に詳しいわけではないけど、ニュース報道を読んで、資料をざっくり漁ってみてそう思ったのでした。
(調査捕鯨の副産物である鯨肉やその流通にばかり議論が行くのもおかしいと思ってます。もちろん、そういう裏がある調査なのは理解してますけど、大義名分を掲げている以上、反捕鯨団体だって、反捕鯨国だってマスコミ各社だって、そこを真正面から叩くべきです。)

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